取り繕う必要はなく、ただただ自分の良心にしたがって生きるだけ。
今日は7月に会ったっきりの知人と、ランチをして、気になる珈琲スタンドに寄って、また少し、話し込んで帰って来ました。
普段はほとんど連絡も取らず、全く違う暮らしをしているのですが、
ときどき、パッとタイミングが合う時に、約束をします。
知人と書きましたが、人生の先輩であり、仕事のことも教えてもらったりします。
なので、一見上下関係がある感じなのですが、私のことをただそのまま受け容れてくださっているのがわかるので、おこがましいけれど、“対等” で、いさせてもらっているように感じてます。
こういう人はなかなかいません。
ずっと気になってること…
気になるどころか、今こうして思い浮かべただけでも、苦しくなることがあります。
そのことは、誰にも言えなくて、ずっと、どう向き合えばいいかもわからずにいました。
ひとつひとつのことに、
「そうじゃないんです!」
「私はこう思っていたのです!」
って、言い訳することは簡単かもしれませんが、
そんなことしても、苦しく、恥ずかしくなるばかり。
きっと、このことにも理由がある!
私にとって、いちばんいい方法をとってくださった!
そう思うので、私は、ちゃんと生きるしかない!
と思って、そこにあるのはわかっているけれど、
なるべく見ないように、考えないように… と、やってきました。
知人はまるでそんな私のことがわかっているかのように、
「からだにまとっているものは、借り物。どんなに取り繕っても意味はないので、
どう思われてるかなんて、気にしなくても本当はいい。そんなことを気にする前に
ちゃんと生きることを大切にしてます。」と話してくれた。
自分に必要な言葉が、スッと入る。
私はこの人に会うことで、自分を軌道修正しているのかもしれない。
そして、何が起こっても大丈夫。
もちろん、壊れたり崩れたり、いろいろあるけれど、
それでも、壊れないものもある!ってことを、いつも示してもらってる。
私も、人に安心をわけることができる人になりたい。